渾身の5記事目投入!ご覧くださいね

    プロフィール~アラフィフの私が書いて生きてくと覚悟を決めるまで~

    のりいちご

    はじめまして。のりいちごです。
    私の書くことへの想いを書き綴りました。

    私のプロフィールに目を止めていただきありがとうございます。
    読み終えたあとに「生きてればなんかいいことあるかも」など何か感じていただけたらうれしいです!

    それではしばしお付き合いくださいませ。

    のりいちごの本好きな幼少期

    自然豊かな地方で生まれ育った私。毎日田んぼの中を走りまわって遊んでました。

    小学生になったら気づいたら本の虫となり、ほぼ毎日図書館通い。図書貸し出しカードって、最初の人だと1行目に名前が書かれますよね。

    それが楽しくて「海底2万マイル」とかめちゃ分厚い本を借りることに燃えてました。

    自分しか借りてないのを見ると最高に嬉しい、、、当時の私の趣味です。

    そんな小学校時代は、横溝正史先生と江戸川乱歩先生に夢中で、図書館にある本全て読了するくらいはまってました。

    プラス、アニメや漫画も大好きで、漫画家を目指してノートに書いては友達に見せたりもしてました。

    そんなある日、同じ顔が描けないし、男の子の顔が苦手なことに気づいてしまい、小学生の夢はあっけなく終わってしまいました。

    中高時代で書くことが好きになる&それ以降の挫折期 

    中学時代は、女子5人しかいない弱小剣道部所属で、のほほんとした学校生活を送ってました。

    そして、ここ、中3での進路の選択が、その後の人生で大きな挫折へと繋がるとことになってしまうんですね。

    当時の私は、大学行くことにあまり意味が感じられないし、手に職つけたほうがいいから、商業高校へ行く。

    しかも、男子がうっとおしいからと、まったく努力しなくても入れる女子商業高校を自ら選んでありがたく合格しました。

    これはその時の自分の素直な価値観での選択なので後悔ないですが、半分は親への反発と、当時夢や目的もなかったから、、、けっきょく楽な方を選んでしまったわけで。

    入学してみると、女子高は私の性格に合っていて居心地は可もなく不可もなく。ただ、努力して入ったわけではないので、勉強もやる気がない態度で、どんどん順位が落ちていきました。

    生粋のさぼり癖が如実に現れだしましたね。占いでほぼ「根がさぼり人」ですってあららな鑑定結果も。

    部活も仲のいい3人組でさぼっては、しょっちゅう顧問のおじさまに怒られて正座させらる始末。完全に私の態度が悪いので、大人になって心より反省してます。

    私のあ・お・は・るは、勉強とか、恋とか、青春を楽しむこともせず。

    当時大好きだった「米米CLUB」と「CCB」のライブがあるので、仮病使って近所の短大の学園際に行ったりしたのが、唯一のキラキラでした。

    そんな女子商業高校時代のとある国語の授業の1コマで、一人ずつ、みんなの前で自由課題で30分ぐらい発表する機会があり。

    原稿は残念ながら残ってないんですが、今までの人生の振り返りみたいなことを私はテーマに選んで話したと思います。

    「まるで1冊の本を読んでるみたいで感動した」って感想をクラスメートの子が言ってくれたあの日の場面は、今でも記憶の片隅にあるぐらい嬉しくて。

    そういえば、勉強の中で、国語だけは唯一好きだったので、中、高はオール5だったのが唯一私が勉強で自慢できることですね。(体育と英語は大嫌い。こちらは2がいっぱい)

    それも、授業が楽しみになる国語の先生に巡り合えたから。

    文章を書くことの喜び楽しさの芽は、学生時代に国語のおかげで育まれた次第です。ありがとう。国語&国語の先生!

    こうして、漫画家から、いつしか中学・高校の頃の夢は小説家に変わってました。

    ですが、ここでもどうせ無理だと自分で決めつけ。そりゃー投稿とか作品を書かなかったらなにも奇跡は起こらないですよね。

    相変わらず、想うけれど行動しないので、書くことでの未来は一向に開かずじまいなのでした。

    けっきょく高3の私が選んだ道は、書くことではなく、もひとつ大好きだったおしゃれを活かす「スタイリストになる!」と決めて、お隣の県に今でもそびえたつおしゃれなスパイラルビルの専門学校に進学することを夢見たわけです。

    ところが、家の両親は田舎の、平均や世間体を気にする人だったので。女の子は短大の家政科行って、25歳には結婚しろと。

    なんじゃこりゃ!今どきありえないTHE昭和な固定観念!

    それで、全員が幸せになる保証があるなら、まあ、えーその通りにしますよ。でも現実は違いますよね。

    結局、理解のない親に猛反対されても、当時の私は、反対押し切って自分の力で行動を起こす勇気も財力もなく。逆らえず妥協して、地元のファッション系専門学校にしぶしぶ進むことにしたのです、、、

    いい学校でしたが、スタイリスト科はなく、ほんとにやりたいことではないので1年で見切りをつけて退学してしまいました。

    それからは、ボランティアしたり、バイトしたりで、しばらくしたら就活に入るわけですが、ここで世間の厳しさに初めて直面するわけです。

    商業高校を出ていたので、幸い事務職には就けたのですが、何かが違う、営業とかやりがいのある他の仕事がしたい、と若気の至りもあって転職を繰り返してました。

    22歳ぐらいに、このままではだめだからと、今度は「自分のお金で司書の資格を取るために短大に行き直したい」と、親に訴えたのですが。もう25歳だから意味がないと一蹴され。

    この時のことが、ここ最近まで私の最大のトラウマでした。

    「あの時、学校に通い直して資格を取ってれば、その後の人生(特にひとり親になってから)、こんな苦労しなくて済んだのに」との思いがずっと払拭できず。

    それに、理解のない親の元に生まれたからだけではなく、親に反発して、楽して受験から逃げたのも良くなかったのか?

    親の言うこと聞いとけばほんとは良かったのじゃないか?私の選択が間違っていたんじゃないか。

    そんなこんなで、親への想いと、自分の選んだ道を後悔することと、ぐるぐるマイナスな想いが心の奥底、潜在意識の中で渦巻く。


    暗くて長いトンネルの中に40代までの私はいました。

    でも、今はわかります。その時の自分が選んだんなら、結果どうあれ意味があってそうなって、必要な経験で、それがベストだったんだなと。 

    救いとしては、その随分あと、41歳で手に職をつけるために、保育士目指しギャルに交じって短大で学びぬいて、無事卒業&資格を取った人生最大にやりきった経験のおかげで、この思いはいつしか薄れていったのでありました。

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    離婚を決意したらなんと最高裁判所までお世話になることに

    中途半端な学生生活を終えたあとは、仕事がうまくいかないあららな独身生活が続いたわけで。

    さらに、23歳ぐらいにもなると親に、「妹がつかえてるし、婚期を逃すから25歳までには結婚しろ」と、ほぼ毎日、呪いのような言葉をかけ続けられてました。

    私は、「結婚だけが女の幸せじゃないし、一生独身で何が悪いのか!世間体を気にして失敗するぐらいなら一生独り身でいい!」と口答えしてましたが。

    もう、なんていうか、だんだんそんな圧迫が続くと、疲れてきたからなんでもいいや的な諦めですね。
    親の承認も得て、28歳でお見合いした人と結婚しました。

    実は、結婚式の前までに、いろいろ伏線があって婚約解消を試みたんですが。

    破談にしたらうちの親は、世間体を気にして、近所の人がどうとか、くどくど嫌味を言うのが目に見えてるし。(実際、近所の破談した方の悪口をさんざん聞かされてたので)

    元夫に「やっぱ無理」ときっぱり伝えても、何だかんだと聞き入れてくれず。長くなるので割愛しますが、すごい裏工作で破談にできませんでした。

    式の直前に、上唇に熱の吹き出しがぶわっと出てしまい。やっぱり身体と心は正直ですね。

    半ばやけくそでその日を迎え。

    ハネムーンで飛行機に乗ってる時に、周りの幸せそうなカップルを見ては、「私は、何やってるんだろう」心の中で泣いてました。

    でも、今ここに書いたので、この場できれいさっぱり浄化します。

    だから、親に進路や仕事とか押し付けられて、事件になったケースがありますが、、、ニュースを見るたびに胸がしめつけられて。

    形は違いますが、生まれた環境のせいで、自分で選択できないもどかしい気持ちが少しはわかります。

    断ったり、家を出たり、できない環境もあってその時はそうするしかなかった気持ちは、同じ立場の人じゃないと決して理解できないのは仕方ないことだと頭ではわかってはいます。

    でもやっぱり、結婚を決めたことについて、「そうは言っても自分でそう選択したんでしょ」って、たまに軽々しく言われて、かなりムカついてました。

    だからといって、復讐しようと人を傷つけたり、事件を起こそうとは私は思いませんが。ひたすら世間と親を恨んでいました。

    「いつかこいつらを見返してやる!」そのムムムが原動力になってひとり親生活を乗り越えてこれたので、そう!これも必要な経験ですかね。


    あ、ここで性格がブラックなのがばれました。

    話を戻しますが、もやもやを抱えてスタートの結婚生活、やはりすぐ後悔することになりました。

    相手のプライベートにかかわるので詳しいことは割愛しますが、とにかく、「今後の人生この人と生きてくのは無理」と、心の中はいつしか離婚の2文字をよぎりながら、思いとどまってはの繰り返しのグレーな9年あまりの結婚生活でした。

    唯一の心の救いだったのは、結婚生活2年目に、神様がひとり息子をあずけてくださったことで。

    この子のために「自分が変われば相手が変わる」その一心で、「頑張ってればいつか幸せになれるかも」と9年は努力してみました。

    でも、所詮、人間なんて自分で変わろうと必死にならない限り無理。そもそも相手を変えようというのが間違ってました。

    このままでは、私の人生半分死んでる!自分のこれからの人生どうしたいか。

    そう自問自答を続けた結果、「自分と息子が幸せなこの先の人生を送るために!」

    そう決意し、9年のタイムリミット後に、車に乗る分だけ荷物をまとめて別居に踏み切りました!

    そこからまた、離婚までもほんとに大変だったんですが。

    藁にもすがる思いで、ガンダム見に行くついでに、息子と2人で東京に占いに行った懐かしい思い出もあります。

    離婚のことを相談したら、時間はかかるけど4年ぐらいで必ずできるとのアドバイス。「おー」信じて頑張ることに。

    そうしたらほんとに、調停から始まり、なんと2回も控訴されて、しまいには最高裁判所までいって4年がかりでめでたく離婚できました。

    あの夏の日の午後。判決のお知らせ電話が弁護士さんからかかってきた時は「やったー」と叫んでました。

    後日、息子が、公民の授業で習ったらしいんですが、日本の離婚裁判で、最高裁判所まで行くのは0.1%にもみたないって。

    それを聞いて「えーじゃーうちって超!レア物件だよね」思わず口から心の声が漏れ出てました。

    この最高裁判所エピソードは、NPO関係でのご縁あって、数年後地元新聞記者さんに記事にしていただきました。

    今でも大事にとってあり、時々読み返しては「ここまで頑張ってきたな」と初心に振り返ったぞパワーをチャージしてます。

    第2の挫折!ひとり親になって身をもって知る現実

    こうしてめでたく離婚し、ひとり親として頑張ると決意したスタート時は、貯金なし。コネなし。仕事なし。ほんとなんもなしの3拍子の私でした。

    それでも、子どものために20歳まで待った方がいいとか、経済的に考えてからの方がとか、世間的に子どものために我慢してとか、離婚を思いとどまる理由を考えたことはなかったですね。

    むしろ、何もなくても生きてればなんとかなる。子どもは頑張ってればきっとわかってくれる。

    大切なのはこれからどうしたいか。その信念だけで離婚に踏み切る行動できた自分の事は、迷いなく100点を上げたいと思います。

    が、これでは事実と違う、きれいごとになってしまいますね。

    実際のところ、前向きにひとり親生活に踏み切つたものの、現実はまず仕事を見つける時点でかなりの苦戦をしいられました。ひとり親がこんなに大変だと初めて思い知ったのです。

    私が離婚できた当時の景気は、就職氷河期と絶好にタイミングが悪く、私の住む田舎では35過ぎた女子に正規職員は狭き門状態でした。

    ハローワークの失業保険の説明会で、職員さんが「ここの地域で35歳過ぎたら事務職はあきらめた方がいい」と、パワポ見せながら言っちゃってましたね。

    確かに事務職の求人倍率30倍で、良い条件は30分で締め切られたり過酷な戦いの場でした。

    それじゃあまずはなんでもよいから経験を積もうと考えて、離婚後初仕事は時給700円代の団体職員の派遣のお仕事からはじめました。

    その後、給食のお姉さん→保育士の資格取りに3年短大に→保育士→介助員→ICT支援員
    合間にライターなどなど。バイトは数知れず。転職は相変わらず記録更新中です。

    正規職員の安定生活ではなかったので、あの手この手で、いろんな支援の力を借りて何とかやりすごした綱渡り生活でした。支援していただいた皆様にはほんとに感謝してます。ほんとに恩送りしなくちゃです。

    離婚については、私は自分で決めた人生なので、苦労も自分で蒔いた種。どんな現実も受け止めてけばいいんですが。

    息子のことを想うとやっぱり、同じようにさっぱりわりきれなくて。

    人と比べるのは良くないと頭ではわかっていても。TVを見てて、幸せな普通の家族のシーンや、一軒家で子ども部屋を作ってあげたり、ペットを飼って楽しそうなのを目の当たりにすると。

    自分はアパート暮らしで、広いお部屋も、ペットを飼うことも、息子にしてあげられないのが現実、、、

    「私の都合で息子に辛い想いをさせてるんじゃないか」「どんなにがんばったって両親揃って、経済的に不自由ないとこには勝てない」

    夜、ふと隙間時間ができるとこんなマイナスなことばかり考えて、何度も枕を濡らしてました。

    経済的に自立してないと、子どもが幸せになれないとおっしゃる、支援の窓口の方がいて、「ぐさっ」と心をえぐられたりしました。


    ですが、ひとり親生活13年がたった今だからこそ、経験を重ねた上で、経済的苦労も悪い面ばかりでないなと実感してます。

    例えば、自分が前向きにフォーカスすると、歴史上の人物とか、タレントさんとか、小さいころ経済的に苦労されてもそれをばねに、今では立派に活躍されてる方がたくさんいらっしゃいますよね。

    うれしい勇気をたくさんいただいたことも。

    こうして、いろいろ経験を積み重ねていく中で、自分なりに精一杯生きてることそれでOK。何度も揺れ戻しがありつつ、自分を認めてあげられるようになりました。

    経済的に安定して自立するのが、そりゃー理想だと思いますが、地方在住で、アラフィフ以上。努力して簡単に上手くいくなら、ひとり親の貧困問題とかもっと解決してるはずですから。

    自分と子どもの心の安定ができていて、自分が幸せだと感じていられれば、まずはそれでいいんじゃないかと。

    私は子育てするにあたって、大切なのは、勉強ができることより、何より、息子が好きなことで自分らしく生きてく力を身につけること。そこを心に置いてこの道20年過ごしてきました。

    それもこれもやっぱり自分の挫折した経験が大きかったんですよね。

    私自身が、やりたいスタイリストや司書の資格をとる目標を挫折した苦い経験から、自分の子どもにはぜったい同じ思いはさせたくないと心に誓いました。

    ニュースとかで、境遇は苦労しても、ご両親が理解あるお人柄で、生き生き好きな仕事をしてる子を目にすると、当時の自分と比較してしまい。両親を随分うらみました。(今はいろいろあって両親への想いが変わりました)

    そういえば、4年前。TVにも多数出てらっしゃる某有名占い師さんの個人鑑定に当選するミラクルラッキーに恵まれまして。

    これはチャンスと、当時高1の息子のことを伺ったら、「進学校か、、、この子は、研究者とか向いてないから。自分で好きなことをみつけて起業した方がいいね」とアドバイスいただき。

    あ!これだなと。

    別に、息子が大学行きたいとか、特になにも目標がないなら視野を広げるために進学したいと言っても、もちろん反対はしませんし、むしろ、勉強したくないなら無理に行かせはしないよと。

    逆に、いい大学行って大企業に就職しろとか、安定の公務員目指してほしいとは、ミジンコも思いませんでしたね。

    そして息子は、公立の進学校から、好きなことを学びに県の専修学校に進んで、やりたいことをみつけてこの春就職する道を選んで、ありがたきことにがんばってくれてます。

    なので、学費もあまりかからず親孝行してくれたので、ほんと、私が仕事ぐたぐたでも何とか生きてこれたのは、息子のおかげでもあるので。

    ひとり親でも、お子さんの人数や、環境で、そのご家庭によって千差万別のライフスタイルになりますよね。

    うちは息子ひとりだったから、これでなんとかやり過ごしてこれただけかも知れないので。これで正解か、いや正解とか考えない方がいいのかなとも感じ。

    過ごしてきた日々がどんな状況でも、その時の自分が選択して歩いてきた生き方なら〇でよいのでは。

    先日、20歳になった息子にほとぼりも冷めたころだし、聞いてもいいかなと、さりげなーく探りをいれてみたところ、特にひとり親で苦労したからいやだったとかなんとも思ってないって。

    本心かどうかはわかりませんが、その言葉をもらえて母はほろりと救われました。

    Vector Spring landscape with farm field, wild floers, blue sky and rainbow, Spring or Summer background concept

    2021年 長くて暗いトンネルを抜けて書いて生きてく覚悟を決める

    そんなこんなで、息子がいてくれることが何物にも代えがたい支えであり。

    山あり谷ありの暗く長いトンネルも、なんだかんだと自分らしく前向きに楽しんでここまでこれたわけです。

    そして、息子が自分の道をみつけてくれたことで、ほっと一安心。

    今度こそ各しがらみを気にせず、自分の本当にやりたいことをして生きてきたい!

    それはずばり「大好きな文章を書いてこれからは生きてく!」です。

    そう心の底から自分が望んでいる!だったら今度こそは言い訳して逃げたりしちゃだめですよね。

    そうとなったら、いつものさぼり癖は封印して、つい言い訳したくなる自分にペシぺシお尻たたいて怒涛の行動あるのみ!

    ちょうどそう決意したタイミングで、派遣のお仕事を期間満了で終了することが決まったので。

    これはすごーいチャンス!失業保険をいただきながらの転職活動を。

    合わせて、人生過去最高と言えるぐらい、断捨離&大掃除するとよい!とあったので、全集中。

    息子に就職先の都合で引っ越す必要ができたんですが、お互いのメリットなど話あって、あと3年ぐらいはまだ同居しようということとなり。

    それも頭にあったので、いつでも引っ越しできる体制も整えたかったので、1ヶ月ほんとにがんばって99%必要なものしかないと言い切れるくらい、過去最高に大掃除&断捨離をやり切りました。

    その達成感もあって、やりきった自分を褒めてあげて、自信がつき。

    さらに、大掃除&断捨離の効果がさっそく現れて。その過程で、いかに自分が行動できてないか。上手くいかない原因は書き出したり描くだけで、大切な気づきもいただけたのもありがたきことです。

    「長いトンネルの先には必ず光がある。そこを抜ける前が一番くるしい」とか何度も目にしてきましたが、その言葉の重みは身体に沁みついてます。

    こうして、思い描く、プラス行動することで、気づいたら長いトンネルを抜けて、明るい光が私の心の中に差し込んできました。

    クリアになったつもりが「えっ!」まさかのまたどん底に落ちて、本当の意味で目覚める

    こうして、黒い想いを浄化できて、さらに大掃除と断捨離のおかげで、ギフトがふってきたり、ぞろ目フィーバーも続き、よっしゃ!これで運気があがってきた!

    そう喜んでた矢先のにガーン、息子が朝学校に向かう途中で人身事故を起こしてしまい、どん底に突き落とされました(涙)

    その日から、親子で今回の事故の意味を話し合い反省する日々に入りました。

    長くなるので、また別の記事を書きたいと思いますが、あるきっかけで、物心ついたころからの長年の親への不満が消えて、両親への感謝が足りなかったことを反省する気持ちにもなれました。

    シングルマザーに自分がなったからこそ、初めて見えてきた、知らない景色を知らずに一生を終えたことでしょう。

    世の中には本当に苦労している人。そんな人のために力になろうと頑張ってくださっている方々。視点を変えたから見えてきたものが沢山ありそれが今の私を作ってくれています。

    今までも、年齢は気にせず生きてきたつもりですが。

    いざ、今までの仕事が上手くいかなかった人生を振り返り,

    今までの私は何だったんだろう。と、自分を責める気持ちが潜在意識下では、隠していても深く奥底で眠ってたんですね。

    それでも、過去のいろいろ。黒い想いも、失敗も、怠け癖で行動できなかったことも、その時の自分なりに頑張ってきた。

    それも含めて、全て私の人生。

    のりいちご、本日で52歳!そう、心から自分を認めて許して好きになれた自分がいます。
    結構長いことかかりましたね。

    今でもTVのワンシーンを思い出しますが、地獄を見た人しか地獄にいる人を救えない。

    そういえば、占いの先生に、なんでこうなったのかわかるみたいなことを聞かれ「こうなることがきっと人の役に立つ時がくるから」みたいなことが、口からポロって出たのを今でも鮮明に思いだします。

    あー、なんかきっとそのために。人のために自分の人生を役立てる使命があるから、私の人生、山あり谷あり凸凹だらけだったのも学ぶためだったんだなと、今はすとんと腑に落ちるようになりました。

    痛みがあるからこそ、小さな幸せも感じられることも、心から納得できます。

    この世界に生まれてこれたこと。両親がいてくれること。息子が私の所へ選んできてくれたこと。

    朝目覚めて今日も一日生きていられること。空の美しさ。お日様の温かさ。窓からみえる緑の美しさ。

    今、こうして四季のある美しい日本にいられることがなんて幸せか。

    自分をまずは大切しようと心に決めました。

    のりいちご 52歳

    のりいちご

    今日から第2の人生スタート

    私だけの人生。大好きな、書くことで幸せになる。
    これからは、豊かな幸せなお金持ちになって、半分は人のために生きていくことを実現できるように。

    過去の自分のように、トンネルを抜ける前の必要とされる方のために、力になれればと願います。

    それでは、ここまでの長い文章にお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございます。

    みなさまのかけがえのない今日が、カラフルな楽しい一日になりますように。願いをこめて。

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